日本を変える「遺贈寄付」の力を知る(前編)

日本を変える「遺贈寄付」の力を知る(前編)

人生の最期に自分の想いを社会へ示す「遺贈寄付」。残った財産の一部を、親族とは別に非営利団体や地域社会へ寄付する行為です。高齢化が進む日本では80〜90代(親)から60〜70代(子)への相続が一般化しており、2035年には日本の金融資産の70%以上が60代以上に意図せずとも滞留する社会が訪れます。遺贈寄付に向き合うことは、日本人が「人生とお金」について、また「お金と社会」について考える大きなきっかけとなるでしょう。今回の対談では、一般社団法人 日本承継寄付協会の代表理事である三浦美樹さんに、日本の寄付や相続の現状、人々のマインドセット、遺贈寄付という意思を持ったお金の社会参加の重要性についてお話を伺いました。

一般社団法人 日本承継寄付協会 代表理事 三浦 美樹(みうら みき):2011年に司法書士事務所を開業、相続専門の司法書士として、これまでに多くの相続相談を受け、多数の相続セミナーや相続専門誌を監修・執筆する。2019年に日本承継寄付協会を設立。遺贈寄付全国実態調査や遺贈寄付ガイドブック「えんギフト」を発行。英国発の遺言書作成報酬助成であるフリーウィルズキャンペーンの日本初開催をし、日本における遺贈寄付文化創造に尽力。 2024日本発の遺贈寄付白書発行。

WealthPark研究所 所長 / 投資のエヴァンジェリスト 加藤 航介(かとう こうすけ):「すべての人に投資の新しい扉をひらく」ための研究、啓発のための情報発信を行なう。2021年より現職。

加藤航介のプロフィールはこちら

人生の最期に、自分のお金に意思を込められる「遺贈寄付」

加藤:本日は一般社団法人 日本承継寄付協会の代表理事である三浦さんと対談させていただきます。私も7月に同協会の「承継寄付診断士」認定講座に参加し、遺贈寄付の基本的な知識や倫理、寄付先の選び方、税務や法務を一通り勉強させていただきました。まだまだ学びたいことが多く、遺贈寄付を日本に広めている第一人者の三浦さんとお話しできることを楽しみにしておりました。

先に私たちの自己紹介をさせていただくと、WealthPark株式会社は日本の不動産オーナーが日々の物件の管理・運用に活用するスマホアプリの最大手の会社です。日本では全世帯の約4割が賃貸住宅に居住しており、不動産オーナーは日本の住宅という社会インフラを支えている主体です。

私たちが事業を通じて目指しているのは、賃貸不動産の現状をデジタルで見える化し、不動産オーナーが自身や家族、社会のために、自分の意思でお金の使い道を選択できる未来です。オーナーの財産の相続や手残り家賃の再投資先としては、「寄付」という選択肢も当然にあります。したがって、三浦さんが今広められている「遺贈寄付」が広まることは、オーナーにとって大きなプラスになると思います。

さて、日本において遺贈寄付は、まだまだ馴染みの薄い制度だと思いますので、「遺贈寄付とは」という初歩的なところから教えてください。

三浦:もちろんです。遺贈寄付というのは、亡くなった後の財産の全部または一部を、遺言を使って寄付する方法です。「寄付はお金持ちがするもの」と思われる方も多いのですが、遺贈寄付は一般の方でも積極的に取り組める寄付です。老後のお金を使った後に残った財産から行われる寄付であり、老後のお金の心配とは切り離して考えることができるからです。 老後にお金がかかり、あらかじめ遺言書で決めた遺贈寄付の資金が万が一残らなかった場合は、寄付行為は発動しません。よって、誰もが無理なく、自分の意思で、自分の死後のお金の使い方を考えておける仕組みなのです。

©一般社団法人日本承継寄付協会

加藤:つまり、生前から人生の最期に、自分のお金に意思を込められるということですね。そして、実際にいくら財産が残るかは関係なく、今の意思を不確定な未来にタイムトラベルさせられるところにポイントがあると。

三浦:そうなんです。人生は忙しいので、「社会に役立つことをしたい」という意思があっても、その機会がないまま最期を迎えられる方は多いでしょう。一方で、社会の課題はどんな時代でもたくさんあり、その解決のための資金は常に不足しています。遺贈寄付を使えば、お金の心配がいらなくなった最期の瞬間に、「社会への恩返し」として、自分が選択した分野や非営利組織に1万円や財産の数%などの少額から寄付を行えます。私たちは「思いやりの循環」という言葉を使いますが、自分がこの世からいなくなっても、自分の想いが残り、何世代にもわたって社会とつながることができるのです。

日本承継寄付協会ウェブサイトより

日本の遺贈寄付の市場規模は数百億円程度

加藤:「思いやりの循環」ですか。素晴らしい表現ですね。日本の遺贈寄付の市場規模はどのくらいなのでしょうか。

三浦:相続申告されているものしか集計されていないので、あくまでも推定ですが、遺贈寄付の年間総額は数百億円程度です。対して、イギリスが8,000億円、アメリカが6兆円といわれています。

加藤:日本の人口と比べて、アメリカは3倍、イギリスは半分。人口対比で考えると日本のこの数字はアメリカやイギリスの約1/100の規模になるわけですね。

三浦:はい。文化の違いと片づけてしまうには、あまりにも大きすぎる差でしょう。この数字を文字通りに受け取れば、誰かを思いやる、社会に還元したいと考えて行動できる人が日本には少ないということになってしまうのですが、実際はそうではないはずです。遺贈寄付という方法が単に知られていないことが背景にあり、その方法を望む人が選択できるように、私たちは遺贈寄付という考え方自体を啓発しています。

加藤:遺贈寄付はもとより、日本では寄付という行為自体が活発ではありませんよね。日本は、人々のモラルが高く、政府の汚職も少なく、市場経済も健全に動いています。そして他人を思いやる心は当然に備わっていると思います。それにもかかわらず、寄付が少ないことについては、三浦さんはどのようにお考えですか。

三浦:公共サービスが整っている日本では、税金を払っていることで社会的な責任を果たしていると考えている人が割と多いのだと思います。また、NPO法人などの非営利団体の重要性が認識されておらず、「生活困窮者には生活保護が用意されているのだから、他の支援はいらない」といった声もよく耳にします。しかし、行政や営利企業ではできないことがどうしても存在するから、NPOが必要とされているのです。逆に、NPOによる支援があれば、生活保護費が減って、就労によって税収が上がり、その街や社会がよくなるという事例もあります。

たとえば、地震などの被災地での支援では、法律に基づいて動かなければならない行政ではすぐに動けない場合があり、民間の意思決定でできるNPOからの支援の方が早く動けることもあります。せっかく日本中から届いた食糧や生活物資があっても届かなければ意味がなく、そんなときに活躍しているのがNPOや民間のボランティアだったりします。NPOは法律が制定されていない状況下でも、困っている人、必要とされていることに対して迅速に動くこともできます。むしろそうした実例が積み重なって、あとから法律が追いついてくる。だからこそ、NPOにも多くの資源が集まるように、今は行き届いていない社会のお金の流れが、みんなの力でみんなの望む方向に変わったらいいなと思っています

加藤:自分の人生を本当の意味で豊かなものとするために、自分の時間を無償で他人に使うボランティア活動、時間は使わないけれどもお金で貢献をする寄付という行為は、共に大変に大切です。ある一定の収入を超えると幸福感は頭打ちになりますが、寄付を通じて社会に貢献していると感じることで、幸福感はより高まります。この感覚は、先進国になった国が真に豊かになるために必要なことだと思います。

三浦:そうですね。私なんかは、高級時計や高級車を複数所有している人より、寄付をしている人の方がかっこいいと単純に思うのです。アメリカでは、稼いで寄付して一人前という風潮があります。自分たちが稼げているのは社会のお陰であって自分の力だと思っていないから、稼いだお金を自分のために使い切らずに、社会に還元することが当たり前。とはいえ、寄付は物質的に満たされた人だけの行為でもなく、貧困国でありながらミャンマーは寄付率が高いんですよ。

世代間の分断を埋められる遺贈寄付

加藤:寄付やNPOに対する感覚については、国だけではなく、世代によっても差があるでしょうね。私の父親世代は、お金と肩書きを得ることをゴールとした、受験や出世といった競争を強いられてきたので、社会のお陰というより、自己努力や自己責任という発想が強くなってしまっていたと思います。対して、生き方の多様性が認められている若い世代は、寄付やNPOについてもっとニュートラルに捉えているのかなと。

三浦:そうですね。その意味では、遺贈寄付は逆にシニアがヒーローになれる仕組みなんですよ。今、高齢世代に資産が集中していることが社会的に問題視されていますが、決して本人たちが望んでいるわけではないんです。むしろ本人たちも社会に貢献したいという想いは持っていますが、それに気づけていないか、そのやり方が分からない。遺贈寄付には、そうした高齢世代と若い世代の間に生まれている分断を埋められる可能性があります。

高齢世代が日本の未来を考え、自分の意思でお金を投じることで、社会を変えていける。遺贈寄付によって、世界最高の高齢化社会の日本だからこその「思いやりの循環」をつくることができると信じています。

死と共に何かを表すことは、とても強いメッセージになります。金額の多寡に関わらず、一生をかけて築いてきた財産ですから、最期に何も表現しないのはもったいない。死という大きな瞬間に「その人がその意志を残した」という事実は、孫や曾孫の代まで続いていきます。孫や曾孫にとっても誇らしいでしょうし、プライスレスな想いの相続になるのではないでしょうか。

遺言書を書くことは、自分や家族、社会と向き合う機会

加藤:死にあたって「意思を表現しない」とは、「遺言書を書かない」と読み替えられますよね。実際、日本では、あえて何も選択をしない、法定相続分に従った相続が世の中のデフォルトになっています。遺言書の意味やその書き方なんて学校でも習わないし、親もそうしていなかったからリテラシーがない。

三浦:そうですね。私は相続を専門に扱う司法書士としてたくさんの相続相談を扱ってきましたが、皆さんが想像している以上に、意思のない法定相続分に従った相続は揉めるんですよ。配偶者が半分、残りを子供で等分するような分け方は、平等なようで平等ではない。「大学に行かせてもらった」「家を買ってもらった」「介護をした」というように、親にしてもらったことも違えば、したことも違いますからね。

そんな中で大切な分かれ道は、相続するお金を親からの「贈り物」と見るのか、自分たちの「権利」と見るのか、という視点の違いです。法定相続分という概念があると、亡くなった瞬間に故人の財産が、あたかも自分に「権利」のある財産のように感じられてしまうため、権利の主張がぶつかって揉めやすくなる。遺言書があれば、「私があなたにあげました」という「贈り物」になり、遺された人がどう不公平を感じようが、結果的には揉めにくくなります。法律上の構造でも、法定相続分が相続の基本なのではなく、故人の意思が基本となっているのです。

加藤:なるほど。ただ、遺言状作成に対するハードルは、その方法論を知るという点でも、心理的にも高いのが現状かなと。実は、今年、私も遺言状を初めて書きました。子供がまだ小さいため、遺言書がなければ、残された妻が家庭裁判所に出向いたり、特別代理人を選定したり、その過程で親戚に家の全財産を見られたりすることは、確実に起こりえます。よかれと思ってその経緯も説明したのですが、妻からの反応は「縁起でもないからやめてくれ」というネガティブなもので、大変に驚きました。妻はそれなりに聡明ですが、ある意味でこれが一般的な遺言書に対しての反応なのかなと学びがありました。

実質的に死を想定している生命保険には多くの方が加入するのに、遺言書はただただ負のイメージがつきまとっている。これは単純に、遺言や相続の知識があまりにも乏しいからで、完全にリテラシーの問題だと思いました。

三浦:そうなんですよね。たとえ寄付はしなかったとしても、そしてどんな人でも、遺言書だけは絶対に書いておいた方がいい。もう本当に。遺言書を書くことは、資産の大小に関わらず残された家族の負担を大きく減らすことになりますし、また本人にとっても生前から自分や家族、社会と向き合う最良の機会になります。

後編へ続く

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