高校野球の現場から見える、これからの金融経済教育(前編)

高校野球の現場から見える、これからの金融経済教育(前編)

高校の教育課程で金融経済教育が必須となった2022年。成人年齢が18歳に引き下げられ、高校生もお金を軸として自分や社会について考えていく時代に突入します。そして、その翌年に夏の甲子園で107年ぶりの優勝を果たしたのが、「髪型自由」「長時間練習なし」など、これまでの高校野球のイメージを変えた慶応義塾高等学校野球部です。チームを率いるのは、「エンジョイ・ベースボール」を謳う森林貴彦氏。人を育てる手段として高校野球に向き合われている森林氏とWealthPark研究所の加藤が対談し、これからの日本の金融経済教育に求められるヒントを探りました。

森林 貴彦(もりばやし たかひこ)慶應義塾高等学校野球部監督/慶應義塾幼稚舎 教諭:慶應義塾大学法学部卒業。大学時代は母校慶應義塾高校野球部で学生コーチを務める。3年間のNTT勤務を経て、筑波大学大学院コーチング論研究室に在籍し教員免許(保健体育)と修士号(体育学)を取得。並行して、つくば秀英高校で野球部コーチを務める。2002年より慶應義塾幼稚舎教諭として担任を務める傍ら、母校野球部でコーチ・助監督を歴任し、2015年監督就任。2018年春・夏、2023年春・夏の全国大会出場。2023年夏に107年ぶりの全国優勝を果たす。主な著書に、『Thinking Baseball―慶應義塾高校が目指す”野球を通じて引き出す価値”』(2020、東洋館出版社)、『スポーツは人生に必要ですか』(2024、ハヤカワ新書)。

WealthPark研究所 所長 / 投資のエヴァンジェリスト 加藤 航介(かとう こうすけ):「すべての人に投資の新しい扉をひらく」ための研究、啓発のための情報発信を行なう。2021年より現職。

加藤航介のプロフィールはこちら

高校野球を「やりたい」ではなく、「変えたい」という想いで指導者に

加藤:今回は、慶應高校野球部の監督である森林さんと対談させていただきます。昨日、野球部の1・2年生の皆さん70名に、我々の金融経済教育プログラムを受けていただきました。複数のボードゲームを通じたディスカッション形式の本プログラムは、全国の学校や奨学金財団などで実施しています。昨日は、学年にかかわらず、お互いから学び合う姿が見られ、素晴らしいチームとの時間を過ごさせてもらいました。

また、今回お引き受けするにあたって、「野球以外の刺激が生徒の成長につながる。できるだけ生徒の脳みそを揺さぶってほしい」という森林さんの言葉に心を動かされました。我々のプログラムは、本題である経済や金融以外の視座を多く取り込んでいますので、その意味でもお役に立てるのではと思った次第です。

森林さんからは「人を育てる手段として高校野球に向き合われている」と伺いましたが、3学年で100人超という大所帯の組織で、勝利という結果を求めながら、15〜18歳の人間の土台を育てることは並大抵のことではないでしょう。まずは、森林さんの高校野球に対する想いや教育観について、教えていただけないでしょうか。

森林:私は高校野球を「やりたい」ではなく、「変えたい」という想いで指導者になりました。伝統や慣習、監督やコーチにただ従ってしまう「思考停止」「同調圧力」「上意下達」。高校野球のこうした価値観や文化は、これからの時代には合わないのではないか。生徒たちの将来に良くない影響を与えてしまうのではないか。そのような問題意識を持ち、まずは現場から変えていきたいと、会社員を経て高校野球の世界に戻ってきました。

私がかねてから持っている危機感は、日本のスポーツ界の「勝利至上主義」が高校野球にも浸透してしまっていることです。もちろんスポーツは勝負の世界ですから、勝利は追求していかなければなりません。しかし、高校生をプロスポーツ選手のように駈り立て、「勝たなければ意味がない」といった思考を植えつけてしまっては、スポーツの持つ教育的価値が失われていくと思うのです。

加藤:なるほど。「何のための高校野球か」という根本に向き合いたいというのが、森林さんの指導者としての原点なのですね。

森林:はい。私たちはあくまでも高校の「野球部」ですから、野球選手を育てるというよりも、まず人を育てる組織であるべきなんです。ですので、我々は勝利至上主義に対して、人間的な成長を根幹に据える「成長至上主義」を掲げています。日本一を目指しながら、野球というツールで人を育てていく。これが自分に課された役割であり、責任であると自覚しています。

18歳で高校野球をやり切った後、彼らには70~80年に及ぶ長い人生が待ち受けています。高校野球にしか通用しない常識、高校野球だけに活きる技術を伝えるつもりはまったくありません。野球を通じて、その後の人生を豊かにするような、人生の選択肢を広げられる考え方や人間関係の作り方を少しでも授けたい。今回、加藤さんに特別授業をお願いしたのも、生徒の人間としての成長への一助を、お願いしたかったからです。

とはいえ、スポーツとして大前提の勝利を目指すことと高校生の人間性を育てることのバランスには、日々苦労していますが(笑)。

注目度の高い高校野球だからこそ、変革のチャンスになる

加藤:勝利か成長か。お金や投資を教えるにあたっても、「人との比較」という勝利に似たテーマにぶつかります。お金は数字で表せるので比較がしやすく、とかく誰かと比べがち。ただし、お金や投資は、自分の人生という大きな目的のための手段に過ぎません。そして、この目的と手段を取り違えた価値観を持つと、お金に振り回される不幸な人生が訪れてしまいます。

相手があって勝ち負けが決まるスポーツにおいては、人との比較を手放すことはなかなか難しいと思います。野球においても、全員が背番号をもらえないし、レギュラーにもなれない。その辺りの現実を踏まえて、成長至上主義をどのように運用されているのか、もう少し教えてください。

森林:私が考える成長至上主義とは、エースや4番でなくても、ベンチに入れなくても、怪我で満足にプレーができなくても、皆が成長できる、成長を目指すということです。個人間で成長の幅や度合いはあるにせよ、一人ひとりがどれだけ成長できるか、どれだけ成長できたかという基準でチーム運営を考えています。

これは、結果に対してプロセスを大事にする、評価してあげることと同義です。高校野球が人を育てるためのものであるとすれば、結果だけ見るのは矛盾していますよね。負けたら終わりのトーナメントでは、なおさらです。繰り返しになりますが、結果はもちろん求めながらも、大事なのは一人ひとりが成長すること。成長するためのプロセスを踏めたか、頑張れたかに焦点を当てています。

そして、生徒のプロセスや成長を評価していることを、指導者が実際の態度で示すことが大切です。結果しか見ていない、レギュラー選手しか大事にしていない指導者や組織では、生徒たちは「結果がすべて」と思ってしまいますから。

加藤:なるほど。勝ち負けや結果といった見えやすいものがある中でも、一人ひとりのプロセスに焦点を当てることで成長至上主義が貫けるわけですね。投資の世界も結果がはっきりするのはスポーツと同じで、お金がただ無限増殖すればいいという考え方に陥りがちです。そして「お金が増えることが正しい」「金持ちはえらい」といった誤った考えを持つと、お金や投資は社会と共にあるという本質が見えなくなってしまう。

投資で成長至上主義を実践していくためには、レギュラーになれなくても成長を目指すように、 大きな利益を得ることだけに囚われずに小さな利益を継続して積み上げる、短期の勝ち負けに左右されずに長期の視点で挑戦するように、相場の上下で一喜一憂せずに社会を応援する長期投資をする、といったことになるのでしょうね。日本で極めて注目度の高い高校野球で、成長至上主義を掲げることは大きな意義があると思います。

森林:ありがとうございます。注目を集めるということは、それだけ責任や使命を帯びること。その意義を高校野球全体で理解する必要があると考えています。そして、高校野球が巨大な大人のエンターテイメントとして世の中に定着してしまっていることには、指導者として注意が必要です。

高校野球は良くも悪くも影響力の大きいスポーツ。春・夏の全国大会が公共放送で全試合生中継されるのは、高校野球だけです。国民レベルで共通の話題となるような高校の部活動は他にはありませんから、この注目度を良い方向に使っていきたい。変化をアピールし、さらに大きな変革のチャンスにしたいです。

スポーツや高校野球の世界でもお金の理解は大事

加藤:私自身、投資会社という競争が激しい社会に身を置いた20年の間に、成功至上主義やお金至上主義の文化を嫌というほど見てきました。ただ、お金の投資の真の役割は競争ではなく、社会的な貢献や新しい時代の先導です。そうした投資やお金の本質を伝えることができれば、多くの人の人生に良い影響が与えられると思っています。森林さんがおっしゃっている「高校野球で人を育てる」と同様に、「お金の教育で人を育てる」こともできるんですよね。

森林:すべての高校生がスポーツや芸術に打ち込むわけではありませんが、お金は全員に関係すること。ですので、お金の教育で人を育てることのインパクトはとても大きいと思います。昨今は、金融リテラシーを高めていくという世の中の機運も高まっていますよね。

これまでの日本では、お金について教えたり学んだりすることをタブー視している風潮がありました。野球の世界でも、お金との関わりは、長年、物議をかもしてきました。特に、お金を軸にプロとアマの間には大きな溝があって、プロは商業主義でお金に汚れている、アマチュアは崇高といった極端な見方があります。甲子園もかつてのオリンピックもそうですが、スポーツは金儲けのためではなく、あくまで楽しみのためにやるべきだという「アマチュアリズム」ですね。日本でスポーツをやっている人には否応なく根付いてしまう感覚ですが、この認識も変えていくべきでしょう。

アマチュアスポーツや高校野球の世界であっても、お金の理解は大事です。たとえば、野球の用具って高いんですよ。バットに加えて、スパイク、グラブ、ユニフォームを購入するとなると、個人や家庭の経済的負担が大きい。関係者が経済や金融の仕組みを理解していれば、加盟校にお金が循環するようないい形を考えていけるかもしれません。WealthPark研究所のプログラムを体験して、社会にとって投資が不可欠だと痛感しましたし、ぜひあのプログラムを広めて、社会のお金のリテラシーを上げていっていただきたいですね。

加藤:ありがとうございます。日本人のお金に対するマインドセットは変えていきたいですし、特に投資にまつわる「怖い」「汚い」「怪しい」というイメージは払拭したい。慶應高校も卒業生などから寄付を受けていると思いますが、寄付についても「偽善的」「中抜きしている」といった誤った認識は、なくしていきたいと考えています。

「エンジョイ・ベースボール」に込められた想い

加藤:慶應高校の野球部の指導方針の特徴は、管理教育からの脱却にあると思っています。生徒本人に目標や練習メニューを決めさせることは、自分の発言や行動がチームに影響を及ぼすことを学ぶ効果がありますよね。指示されるのではなく、自分の頭で考える自主性、自分の行動が周囲に強く影響を及ぼすのだという当事者性の理解は、お金の教育においても大事と考えます。

人生は十人十色であり、お金への向き合い方は、一人ひとり異なります。投資に対する行動も、万人のやり方をコピーするだけではダメ。一般の意見や権威主義に囚われず、自分の頭で考えることが必要です。自分で選択して、自分で責任をとる。自主性が問われるものです。

また、自分のお金に対する行動の社会への影響を意識できるかといった、当事者性も問われます。自分のお金を預金から投資に移すことで、社会がどう変わるのか。上場企業の株を買う、ベンチャー企業に出資する、アートを購入する、NPOに寄付をする選択をすることで、世の中に与える影響は変わってきます。社会を自分ごととして捉え直し、自分の考えや行動に意味づけができることが大切です。

このような自主性や当事者性について、高校野球の指導においての森林さんはどうお考えでしょうか。

森林:私たちが掲げている「エンジョイ・ベースボール」は、「よりレベルの高い野球を楽しもう」という意味です。単なる「楽しい野球」ではありません。野球がやりたくて野球部に入ってくれたわけですから、まずは自分で野球を追求してほしいと思っています。自分はどう投げたいのか、どう打ちたいのか、どんな選手を目指したいのか、自分ごととして追求してほしい。自分で考えることの楽しさを味わってほしいんです。もちろん難しさも伴いますが、課題を見つけて考えながら、自分なりの答えを出していくことに価値があるのです。

ところが、日本の管理教育型の高校野球の多くの場合、いつの間にか監督やコーチの言うことを守ること、叱られないことに思考が向いていってしまうんですね。やりたくてやっている野球なのに、やらされている野球になってしまう。主体性がなくなるので、うまくいかなければ監督の方針やメニューが悪いといった他責になっていきます。最後は野球が好きではなくなってしまうでしょうね。

こうなると、大人になっても社会が悪い、会社が悪いと、自分を正当化して誰かのせいにする生き方になってしまうかもしれません。だからこそ、年齢の低いうちから、自分で考えて決定するやりがいや面白さを、野球を通じて体感してほしいのです。

(後編に続く)

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