~お金は残すより活かす──歴史と死生観から考える新しい相続~
高齢化が進行する日本。今後も年間死亡者数は増え続け、2039年には170万人の「大相続時代」を迎えます。相続は家族の内輪の問題だけではなく、社会全体の安定や日本の未来を左右するテーマです。今回の対談では、全国39拠点で相続手続き支援事業を展開する一般社団法人 相続手続カウンセラー協会 代表理事・米田貴虎氏 と、「すべての人に投資の新しい扉をひらく」を掲げる WealthPark研究所 代表・加藤航介 が、相続の歴史と日本人の死生観、相続に向けて準備しておくべきこと、などを語り合いました。

米田 貴虎(よねだ たかとら)一般社団法人相続手続カウンセラー協会代表理事:全国39拠点、累計9万件超の相続支援の実績のある相続手続支援センターの代表。阪神淡路大震災でのボランティアや祖母の死をきっかけに、人の最期に寄り添うことを使命とし、25年間で6500件以上の相続相談を経験。「相続で困っている人を世の中から無くす」ことを理念として活動、相続開始後の実務に特化した資格「SC相続手続カウンセラー®」を提供。相続専門家の育成から学生教育まで力を注いでいる。

加藤 航介(かとう こうすけ)WealthPark研究所 代表 / 投資のエバンジェリスト :「すべての人に投資の新しい扉をひらく」ための研究、啓発のための情報発信を行なう。2021年より現職。加藤航介のプロフィールはこちら
相続サービスの最前線──「相続で困る人をなくす」
加藤:本日は、相続手続きのプロフェッショナルである米田さんとお話しさせていただきます。大相続時代を迎える今、相続というテーマを歴史的かつ実践的な観点から前向きに深掘りしていければと考えています。まずは簡単に自己紹介をいただけますか。
米田:よろしくお願いいたします。私はこれまで25年間、相続現場の実務に携わってまいりました。現在は「相続手続支援センター」というフランチャイズを運営しております。相続にはざっと108種類の手続きが存在しますが、当センターではそれらすべてを一括で代行するサービスを提供しています。相続で困る人を無くすことを目標として、日々取り組んでおります。
加藤:私は父親の相続を一度経験しておりますが、その際には多くの時間が取られ、精神的にも非常に疲弊しました。悲しみの中で、初めて学ぶことが数多く発生し、さらに親族との調整を行いながら、多くの重要な意思決定を迫られる状況でした。当時は、米田さんのような代行サービスの存在もしらず、本当に苦労しました。死後の手続きは残された人に重くのしかかるもので、親よりも子が知っておくべきサービスと思います。
相続手続支援センターの108の業務項目を拝見すると、相続人の調査や確定、遺言書の扱い、遺産分割協議書の作成といった必ず必要となる手続きをはじめ、役所関連の諸手続き、金融機関での口座閉鎖、不動産の移転登記、さらには携帯電話や各種サブスクリプションの解約、公共料金の整理まで、本当にすべてが含まれていることが分かります。
財産と暮らしの片付けをワンストップで
米田:私たちは、本当にすべてを対応いたします。信託銀行が担う遺産整理業務、すなわち「財産の片付け」と、死後事務委任サービスが担う「暮らしの片付け」の両方はもちろん、それ以上の相続手続きを、ワンストップで行える体制を整えています。もちろん、生前からの遺言作成や相続計画の立案といった準備のサポートも行っています。
世の中には「全部やります」と掲げる会社も少なくありません。しかし、実際には「これはお客様ご自身でやった方が良い」と誘導し、利益が出やすい一部の業務に留まるのが現実です。全国39箇所のフランチャイズ加盟者は全員、「相続で困っている人を世の中から無くす」という理念に共感し、自らの意思で手を挙げて参加してくれた方々です。
加藤:素晴らしいですね。利用者が負担する費用は、相続財産の0.5%程度が目安とのことですね。例えば相続財産が1億円であれば50万円。信託銀行さんだと2〜3%の費用ですし、暮らしの片付けはしてくれません。非常に価値の高いサービスだと感じます。
一生に数回の相続手続きは、個人にノウハウが蓄積されにくいからこそ、専門家を活用することは重要と考えます。また、実際の相続が起きるまで費用はかからず、利用者が気軽に無料相談から準備をスタートできるのも良いと思います。
2018年からは「SC相続手続カウンセラー®」資格を立ち上げられていますね。米田さんの20年以上にわたるノウハウを凝縮したものと伺っています。展開されるフランチャイズのサービス品質の担保、また社会全体の相続リテラシーの啓発の意味でも、非常に素晴らしい取り組みと思います。

社会を支える“見えない基盤”としての相続
加藤:さて、まず本日、お話ししたいのは、相続とは社会的にどのような意義があるのか、という点です。古くはメソポタミアのハンムラビ法典やローマ時代において、「相続」や「相続税」に関する包括的なルールが定められていたという記録があります。
人は必ず死を迎えるわけですが、土地や企業といった社会資産をどのように継承するのかという規範がなければ、社会が混乱に陥ることは容易に想像できます。土地や不動産は荒れ放題となり、企業は倒産して従業員は路頭に迷うでしょう。世の中の生産活動がストップし、人々の暮らし向きが大きく後退することになります。
過去も現在も、先人たちの努力の蓄積を次の世代の豊かさと幸せにつなげていくために、相続は極めて大切であると考えています。
米田:その通りだと思います。「死」に関連することだからなのか、一般に相続の仕事の意義が声高に語られることは少ないのですが、社会的に非常に大切な役割を担っています。誰かが必ず担わなければなりませんから。
この手続きがスムーズに進められれば、社会的な損失や混乱は大きく減少します。これは実務家としても強く実感していることです。これからの日本は多死社会を迎え、2039年のピーク時には、年間死亡者数が最大で約170万人にまで増加すると予測されています。相続の意識を日本人一人ひとりが持つことは非常に大事でしょう。
私自身、家族と会社の両方の相続を数多く見てきましたが、会社の相続は大きな問題が起こらないことが多です。残された役員や従業員が力を合わせて難局を乗り越え、社長が亡くなったことで会社が潰れるという事例はほとんど見たことがありません。一方で、親族間における家の財産の相続は、混乱を招いて家族が絶縁状態になるなどのケースも少なくありません。

「長男相続」から「平等相続+遺言書」への大転換
加藤:さすが、実務の最前線におられる方ならではの知見ですね。さて、人類の歴史を振り返ると、世界的に大きな相続ルールの転換点は16世紀イギリスの「Wills Act」法の制定と、18世紀の「フランス革命」にあったようです。英語の「Will」は「意思」という意味ですが、今では「遺言」とも訳されます。
かつては、親の財産を“長男が自動的に独占的に”相続することが、世界的に当たり前でした。しかし、それでは社会の発展や人々の幸福を阻害するので、遺言書により故人の意思を反映させること、さらに平等相続によって長男以外も相続する立場となることが、常識へと変わっていきました。それ以前は配偶者の立場も全く保証されず、夫の死後に妻が生活に困窮することもよく見られたようです。
米田:日本でも、戦前までは「家」が社会の基本単位でした。そのため、長男が財産を継ぐ「家督相続」が当たり前だったのです。しかし、敗戦後の昭和23年(1948年)の民法改正により、子どもは全員同じ相続の権利を持つ平等相続という概念が導入されました。家から人に重きを置く社会へと移行したわけです。
もし故人が「家=長男」を大事にしたいのであれば、長男に全てを継がせる旨を遺言書に書けばよい、というルールに変わりました。一方で、この平等相続の導入以降、日本では相続をめぐる揉め事が増えてきたとも言えます。
「遺言書を書かない平等相続」が招く社会のゆがみ
加藤:非常に大切なポイントだと思います。日本では遺言書を書く個人はおよそ10%程度とかなり少なく、その多くは亡くなる間際に緊急的に書かれることが多い状況です。
イギリスで誕生した「遺言書を書いておく」という社会イノベーション、そしてフランス革命によって定着した「平等相続」という社会規範。この二つは、家督相続から時代を前に進めるための車の両輪であると思います。
ところが、日本では「遺言書を書かない平等相続」という歪な形が定着してしまいました。これでは相続で揉め事が頻発するのは当然ですし、社会的な損失も大きい。
さまざまな調査がありますが、イギリスやアメリカでは現在、約4割の人が遺言書を作成しています。「皆で遺書を書こう」というキャンペーン週間もありますし、医者や弁護士にも積極的に勧められます。昭和23年の民法改正時点で、日本では遺言書作成を一定の義務としてしまっても良かったのかもしれませんね。
米田:相続の現場に携わっている立場からすると、「遺言書は全員に作っていただきたい」と強く思っています。そして、すべての人にそう伝えています。実際に私はお客様から数百通の遺言書をお預かりしていますが、とにかく遺言書が大切です。
加藤:私は現在40代ですが、昨年に初めて自筆での遺言書を作成しました。正直、人生観が大きく変わりました。平均寿命までの残り40年、その期間をどう生きるか向き合うことになりました。今この瞬間の仕事や家族との時間の使い方、資産運用や寄付の方針までもが明確になり、気持ちが落ち着きました。
学生への教育という視点でも「遺言書を書くワークショップ」は金融経済教育の中核になるのではと感じています。
ところで、日本社会でここまで遺言書が普及しないのはなぜだと思われますか?

写真: 108の相続手続きの一覧。米田氏の25年に及ぶノウハウの集約である
棺桶に入って気づく、お金と人生の真実
米田:第一に「お金の教育の問題」があるでしょう。日本人はこれまで、人生やお金のことを十分に考えてきませんでしたし、教育として教えることもほとんどありませんでした。
国民がお金のリテラシーに乏しいことは、国にとって都合が良かったのかもしれません。源泉徴収で税収を確実に集められますし、知識のない人は相続税を多く支払うことになる。
生きていく上で、実践的なお金の知識は必須です。そして、相続においても「知っているか否か」程度の基本的な知識を皆が身につけることは、社会全体の利益につながります。
加藤:なるほど。とても同意します。
米田:そして、実践的な知識のより土台にある価値観として、お金と人生について伝えるべきと思うことがあります。それは「お金がたくさんあること=幸せ、では全くない」ということです。これは、何千人という方々の人生の最期に向き合ってきて、間違いなく言えることです。
特に「死ぬときに多くのお金を残していること」と「幸せな人生であったこと」とは、全く関係がないでしょう。加藤さん、棺桶に入ったことはありますか。
加藤:え、棺桶ですか?いえ、ありませんね。
米田:納棺体験というのがありますので、ぜひされてみてください。棺桶に入ってみると、その中の狭さに気づかされます。そして蓋を閉められ、「このまま火葬場で焼かれるのか」という体験をすると、この横のスペースにいくらお金をぎっしり詰めても意味がないと実感させられます。人生とお金の意味を考えさせられる体験ができるのです。
残念なことに、あたかもお金をあの世に持っていくつもりだったのか、と思わされる事例も多く見てきました。あるお宅のケースでは、生活が荒れて家がゴミ屋敷状態で、様々な整理が非常に大変でした。しかしその家からは数億円もの現金が見つかったのです。
また別のケースでは、90歳の母が亡くなった際に、物置からこっそり貯められていた数億円が発見された例もありました。相続人である子ども夫婦はすでに70歳で、経済的に非常に苦労しながら子育てをしてきた方々でした。そのため、突然多額の現金が出てきたことは、大きな落胆に変わりました。
また、大きな財産を相続したことで、その子どもが働かなくなり、自堕落な生活に陥ってしまったケースもあります。結局のところ、死というものに向き合うと「お金は沢山あっても仕方ない」と痛感するのです。
お金は残すより、生きている間に活かす
加藤:なるほど。「お金は稼ぐより使う方が難しい」とよく言われますよね。稼ぐことは運や能力に影響されますが、使うことは純粋にその人の意思や価値観の反映です。お金の使い方には人格が表れると言われることもあります。
「お金はあればあるだけ良い」「お金はたくさんあって損はない」という言葉を耳にすることもありますが、これは「お金の量=幸福」という考え方に基づいている、お金のリテラシーの低い人の考えと思います。米田さんが示された実例にもあるように、そのような潜在意識は、自分や周囲の人々も不幸にしてしまうと感じます。
米田:私から一般の方へのアドバイスは、「死んでから」ではなく「生きているうちに早めに」資産を減らしておくことです。贈与によって親族に移すのか、あるいは寄付によって社会に移すのかは価値観次第ですが、とにかく早めに渡した方が良い。
早めに贈与や寄付をすれば、生きている間に「ありがとう」という言葉が多く生まれ、渡す側と受け取る側の関係も良くなります。一定の資産をお持ちの方であれば、生前に孫の教育費用や介護などの役務に応じて積極的に渡していくと良いでしょう。
対して、亡くなった後に一括で渡す場合は、墓前での「ありがとう」が一度あるだけで終わってしまいます。しかも、残されたお金をめぐって子ども同士が揉めてしまうこともあります。

(後編に続く)