「技術」と「美」を兼ね備えた日本の文化資産、西陣織。その存続に向けて投資が果たせる役割とは

誉田屋源兵衛十代目当主の山口源兵衛さんと、ニューヨークで現代アートのレンタル・サブスクリプションサービス「Curina」を展開する朝谷美生さん、WealthPark研究所の加藤航介が対談。歴史を背負いながら伝統に甘んずることなく、常に美を追い求めて帯の可能性に挑む源兵衛さんから、日本の染織の精神性、帯に込められた源兵衛さんの想い、西陣織の未来について伺いました。

誉田屋源兵衛十代目当主 山口源兵衛(やまぐち げんべえ): 1948年、京都市中京区室町に生まれる。27歳の時に正倉院展で初めて目にした「糞掃衣」に衝撃を受け、帯の創作を始める。1980年、十代目誉田屋源兵衛を襲名。職人衆による染め、織りの高い技術とともに伝統を受け継ぎ、常に「革新」の精神を持って呉服業界に次々と作品を発表。建築家の隈研吾氏やデザイナーのコシノヒロコ氏、ファッションブランドのユナイテッドアローズ、現代舞踊家の田中泯氏、畫家の松井冬子氏、スペインの写真家イザベル・ムニョス氏、藤田美術館とのコラボレーションなど、伝統工芸の枠に縛られない、ジャンルを超えたものづくりにも挑戦。海外からの評価も高く、2016年には、英国ヴィクトリア&アルバート博物館に永久所蔵品として収蔵される。2003年、日本文化デザイン大賞を受賞。日本原種の繭「小石丸」の復活やフィリピンのドリームウィーバーの保存活動など、染織技術の活性化にも努める。

Curina CEO 朝谷実生(あさたに みお):幼少期を英国と米国で過ごし、東京大学法学部を卒業。経営コンサルティングファーム勤務を経て、2019年にニューヨークのコロンビア大学ビジネススクールにてMBAを2019年に取得。在学中にかねてより趣味で嗜んでいた芸術鑑賞に時間を割くようになり、若手アーティストの経済的な苦悩や、アートに興味のある若年層の声に触れ、現代アートのレンタルサブスクリプションサービス「Curina」を創業。

WealthPark研究所 所長 加藤 航介(かとう こうすけ)‐ プレジデント/インベストメント・エバンジェリスト:「すべての人に投資の新しい扉をひらく」ための研究、啓発のための情報発信を行なう。2021年より現職。

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織物に宿る精神性に導かれ、“帯匠”の道へ

加藤:本日は、1738年に創業され285年目を迎えた“帯匠”誉田屋源兵衛の10代目である山口源兵衛さんにお話を伺います。日本の文化資産といえる西陣織の帯を数十年にわたって創作されている源兵衛さんから、その歴史や魅力、今後の課題について教えていただけたらと思います。

まず、誉田屋さんは、現在は日本随一の”帯匠”としての地位を確立されていますが、源兵衛さんが継承される前は帯専門の問屋だったそうですね。そのあたりの成り立ちからご紹介いただけないでしょうか。

山口:誉田屋は帯が主役として台頭してきた江戸中期から帯屋を開業して富を築いておりましたが、帯をつくり始めたのは私の代からです。それまでの誉田屋には「つくる」という文化はありませんでした。

誉田屋が製造に舵を切ることになった一つのきっかけは、私が27歳のときに誉田屋の先達から受けた「ものづくりをしなさい」という教えです。「メーカーになって流通をカットする」という、当時としては画期的なアイディアを聞いて、自分が継ぐときはそうしてみようと。といいますのも、9代目である私の父は典型的な道楽息子でね。遊ぶことが大好きで、借金もたくさんつくりました。そんな父を見ていたので、私は私のやり方で誉田屋の暖簾を守っていこうという覚悟があったのです。今になってみると、誉田屋をここまで続けてこられたのは、このときの発想の転換によるところが大きいと思います。

また、同時期に奈良の正倉院展で、仏陀が修行した後に着たといわれている「糞掃衣(ふんぞうえ)」を見て、衝撃を受けまして。糞掃衣というのは、汚物を拭いたり、遺体を包んだりした後に捨てられた布を拾い集め、洗って清めてからつぎはぎしてつくる僧侶の着物です。忌み嫌われた布から生まれ変わった着物を目の前にしたときに、「織物はモノではない。精神なのだ」と、織物に宿る精神性、そして経年劣化による美しさを感じとりました。これまで誉田屋で大量に買い占めていた帯とは別次元の美に触れて、帯を創作してみたいと心が突き動かされた、私の原点です。

年1本しかつくられない帯に織り込まれた技術と美

朝谷:商いと美の両方の観点から、帯匠の道を歩み始めたということなのですね。糞掃衣といえば、源兵衛さんが前衛舞踏家である田中泯さん主演の映画「ほがいびと」の衣裳を手がけた際に、「平成の糞掃衣」を制作されていますよね。この作品のインスピレーションの源は、源兵衛さんが帯づくりを始められた頃まで遡るのですね。

山口:実は、誉田屋の「作品」と呼ばれる非売品の帯の多くは、私が27〜30歳で出会い、「これを帯にしたい」と感じたものをモチーフにしています。上海美術館で見てきたものとかね。誉田屋を継承したばかりの頃はとにかく父の借金を返さなければならなかったので、時間やお金を投入してこうした革新的な帯を制作する余裕はありませんでした。加えて、その当時の職人の技術では実現が難しかったということもあります。約20人の職人で一般に流通する商品も制作していますから、今でも作品は年1〜2本程度しかつくれません。それでも長い年月をかけて、若い頃に帯で表現したかった世界を形にできるのはよろこびです。

加藤:年1〜2本ですか。源兵衛さんの飽くなき創造力や美へのこだわり、職人の方々が積み重ねられた努力や技術など、1本の帯に織り込まれているものを考えると、値がつけられないでしょうね。

山口:たとえば、孔雀の羽の繊維を数万本織り込んでつくった帯は、高齢の職人に「一度だけなら」という約束で織ってもらいました。孔雀の羽は機械では織れないので、すべて手織りです。職人にとって大変に負荷のかかる作品で、2年の歳月をかけて織り上げてもらい、これがその方の最後の仕事になったほどです。これは極端な例ですが、作品の帯は時間も労力もかかる上に、個々の職人の技術力によるところが大きいので、再現できないものが多いですね。ですから、そうした技術や想いを伝承できるように、非売品として私たちのギャラリーで展示しているのです。

西陣織を守るのは、伝統だからではなく、美しいから

加藤:なるほど。そのような市場に出回ることのない作品群の他に、購入できる商品の帯もつくられているということなのですね。生産数や価格帯を教えていただけますか。

山口:商品の生産数は年300〜400本程度、価格帯は数十万円〜数百万円ですね。自分がつくりたい作品としての帯を生み出すこと、日常に取り入れられる帯を世に届けること、この両輪が大切だと考えています。一方で、商品でも作品でも美を基準にすることに変わりはありません。私は経営者でもありますが、売れることよりも美しいことの方が大事。このような事業を営む以上、私一人くらいは美を追求し続けないと。それがなくなってしまったら終わりですから。

朝谷:帯作家でもある源兵衛さんにとって、やはり美を「帯で表現する」ことは特別な意味を持つのでしょうか。

山口:帯の長さや幅が唯一無二の正しい形とは思いませんが、私にとっては自分の持つイメージを表現するのに帯が丁度いいのです。たとえ「のれんをつくってください」と頼まれても、私はつくらないでしょう(笑)。

西陣織を広めるためにテキスタイルとして洋服や壁紙をつくるのも一つの方法ですが、私自身は帯を続けていきたいですね。1500年と続いてきた経糸を絶やしてはならないし、日本の今後を考えても重要な文化だからです。

ただ、単に伝統工芸だからやめてはいけない、守らなければならないということではないですよ。伝統だからではなく美しいから守るべきで、私はその一端を担っていきたい。伝統に甘んじず、絶えず美を追求し、変化し続けて、現代でも通用するものをつくっていきたいのです。

朝谷:代々受け継がれた技術をもって、デザイナー、建築家、前衛舞踏家、日本画家といった異なるジャンルの先鋭的なクリエイターたちとコラボレーションされているのも、源兵衛さんの美の追求の一環なのですね。

徹底的な分業制ゆえの課題は後継者の育成

朝谷:西陣織は分業制だそうですが、源兵衛さんはデザイナーまたはクリエイティブディレクターのような立ち位置になるのでしょうか。

山口:近いところはありますが、西陣織は完全なる分業の世界です。私がつくりたいものを実際に形にしてくれる職人たちは、それぞれの仕事を遂行することに強い責任感を持つ一方、「どんな帯をつくりたいか」といった全体のデザインにはあまり興味を示しません。

しかし、この分業制こそが京都における着物づくりを発展させてきたとも言えます。天皇・貴族が着るような完成度の高いものは、一人では決してつくることはできません。細分化された作業をそれぞれの職人が「一生の仕事」として磨きをかけていき、そうした高度な技術を結集させて一つの着物・帯をつくりあげるという、運命共同体のような仕組みができあがっているのです。

加藤:なるほど。ただ、全体の中の限定的な仕事を生涯突き詰める、いわゆる専門工になるという選択は、今の若い方にとっては必ずしも魅力的に映らないところもあるのでは。

山口:おっしゃるとおりですね。80歳を超える職人の中には、小学校に行かずに幼少期から糸をおもちゃ代わりにして研鑽を積んできた方々がいます。もはや西陣織のオリンピック選手ですね。そうした方々にこれからも作品を織ってもらいたい気持ちはありますが、今の時代に同じやり方を通すことは難しい。彼らの技術を若手に継承させていく時間も限られていることから、後継者の育成は待ったなしの状況です。

西陣織の職人の平均年齢は70代。彼らは技術を教わった経験がないので、教えるという感覚が備わっていません。そこで、技術を継承させていくために考えているのは、一貫工場をつくることです。このまま分業制を続けるにせよ、仕事の始まりから終わりまで、若い職人にもすべて見えるようにしたいのです。工場だけではなく宿舎も建てて、西陣織をやりたいという一風変わった若者を集めて、今の時代の職人を育てていく。そんな場所をつくりたいですね。ざっと見積もると、工場・設備への投資として10億円、運転資金などで5億円、合計15億円ほどあれば十分に可能ではないでしょうか。

加藤:生産現場を刷新し、技術を伝承できる場を整えるということですね。日本の技術や美は世界から高い評価を受けているにもかかわらず、欧州に比べてインバウンド需要の受け皿となる向けラグジュアリー産業が乏しい。そうした日本が抱える課題を考えても、非常に意義のある投資かと思います。

帯・着物は絶やしてはならない日本の文化資産

加藤:数年前、誉田屋には世界トップのラグジュアリーブランドであるフランスのシャネル本社から、経営陣を含む約100名の研修訪問があったそうですね。幹部の多くの方々が作品を見て涙を流され、その後、京都の国際イベントにおいては、シャネルが協賛した作品の展示場として誉田屋を使用されているとか。さらに、源兵衛さんの帯はロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館に永久所蔵されており、源兵衛さんご自身も同館で講演されたことがあるそうですが、世界における西陣織についてどのように見ていらっしゃいますか。

山口:ヴィクトリア&アルバート博物館では世界の染織の展示も見てきましたが、質からしても歴史からしても、日本の織物が群を抜いた存在であることは間違いありません。

私は、衣食住のうち「衣」は命と一番深くつながっていると考えています。日本の着物の歴史を紐解けば、赤土染も鉱物染も植物染も、自然のエネルギーや霊力を求めた結果であることがわかります。着るものを通じて日々大地とつながることで、一人ひとりの個性もその人が生まれて暮らす風土や環境と一体になってつくられていく。日本の衣服の歴史や文化はとてもユニークだと思います。

海外の西陣織のファンの中に、そうした背景や精神性を含めて評価してくれている方もいらっしゃることは、心強いです。実際にすでに起きていることですが、西陣織が海外で評価されることによって、「着る」以外にも、お守りとして「持つ」、アートとして「飾る」といった新しい楽しみ方が広がる可能性もあると思います。

加藤:「日本の1億人」から「世界の80億人」へ評価軸を移していくことは、文化資産を守っていく上で重要なポイントで、非常に共感します。また、海外における評価を高めていくことによって、国内の評価も高まるということがいえますよね。

山口:そうですね。日本には、中国崇拝、南蛮崇拝、アメリカ崇拝を経て、消えてしまった文化資産は数多くあります。その意味では、呉服の文化は守られてきた方で、意外にも世界から見れば日本は民族衣装を着ている人口が多い国です。茶道や華道、お琴、日本舞踊、歌舞伎など、日本文化が着物を起点に放射線状に発展していることも、理由の一つでしょう。悲観的にならず、西陣織の技術と文化を紡いでいきたいと強く思います。

朝谷・加藤:本日はありがとうございました。