「日本は外国人に優しい国か?」開国と鎖国の狭間で考える未来

「日本は外国人に優しい国か?」開国と鎖国の狭間で考える未来

日本はどのぐらい「開かれた国」なのか?

外国人の観光客や就労者の増加は、人口減少が続く日本経済を支える明るい材料として期待されている。一方、外国人の日本での仕事探し、住まい探し、永住権から日本国籍取得における実態や苦労について、我々は殆ど知らないのではないだろうか。

日本では極めて少数の外国出身の政治家(区議会議員)であるオルズグル氏のインタビューより、日本の開国度の現実と課題を紐解く。

※本記事は、2025年4月6日に東洋経済オンラインに記載された以下の記事の元原稿となります。

前編:【日本が大好きで来日したのに…】「面接した53社から不採用!」「外国籍に不動産は貸せないよ」”日本を愛する外国人女性”を襲った厳しすぎる現実

後編:「失礼ですが、旦那様とは偽装結婚ではないですよね…?」日本を愛して来日し、永住権を持つ外国人女性が経験した”日本の見えない壁”

◼️「ひらがな」に魅せられて——ウズベキスタンから日本への旅立ち

「13歳のとき、日本語の『ひらがな』に初めて出会った瞬間を今でも覚えています。まるでアート作品のような美しい曲線に、目が離せなくなったんです」

オルズグル氏は1980年代のソ連崩壊前夜のウズベキスタンに生まれた。カスピ海に隣接し、シルクロードの中心としても栄えたウズベキスタン。多くの世界遺産でも有名だ。

子どもの頃から勉強好きで、小学校から飛び級し、14歳という若さで大学へ進学。

「大学での専攻は迷わず日本語学科。中央アジア最大の日本語教育機関で学びました。」

「その後、18歳で大学を卒業して、大学院に進みます。日本語に加え国際ビジネスも学びながら、日本語通訳の仕事、シルクロードや世界遺産の観光などに訪れる日本人観光客へのガイドをして、ますます日本への想いが強くなりました。」

ガイドなどで知り合った日本人の言葉使いが丁寧で、相手への配慮を感じられるところが大好きだったという。

◼️「日本の四季と温泉が大好き!」——それでも愛し続ける日本の魅力

彼女は既に日本で15年近く生活をしているが、日本の何にそれほどまで惹かれるのだろう?

「日本の魅力ですか? 語りだしたら止まらなくなりますよ!」

オルズグルさんは笑いながら、日本への愛着を楽しそうに語ってくれた。特に彼女が強調するのは、四季の美しさ、温泉文化、そして和食だ。

「初めて桜の花を見たとき、あまりの美しさに言葉を失いました。学校で、日本人が季節を大切にすると習ったのですが、その理由が一瞬でわかりました。そして、どの季節にも違う美しさがあって、毎回新鮮な感動がありますね。」

さらに、温泉にも並々ならぬこだわりを持つ。源泉かけ流しの温泉を求めて各地へ足を運ぶという。和食の魅力にも惹かれ、調理師の資格まで取得。

「日本料理を学ぶことは、季節ごとの食材や、料理人の技術の細やかさなど、日本を学ぶことだと感じます。日本という国がますます好きになりました。」

異文化から来た外国人の視線は、日本人である私たちにも改めて自国の魅力を気付かせてくれる。しかし、そんな彼女が日本で暮らす上では、我々が経験しない大きな困難が立ちはだかる。まずは仕事探しである。

◼️「53社から不採用」——外国人が直面する日本の就職の壁

ウズベキスタンで大学院を卒業し、現在の夫である日本人男性との出会いを果たし結婚、2007年、21歳で日本へ移住する機会を迎えた。喜んだのも束の間、就職活動という高い壁が待ち受けていた。

「日本に来る前は、日本での仕事探しについては、自信満々でした。東側のトップ大学で学んでいましたし、4か国語も話せました。『すぐ仕事は見つかるでしょ』って。でも、現実は想像と全然違いました」

日本に来たのだから、外資系企業ではなく、日本企業に入りたい。しかし、既に大学院を卒業済みの彼女は、新卒採用の枠組みに入れないのだ。そして中途採用には若すぎるのだ。また、外国人であるという理由で、厳しい質問も次々飛んできた。

「面接した会社だけで53社に断られました。当時の私には新卒・中途という日本の独特の考え方が理解できなくて、何をアピールすれば良いのか、非常に戸惑いました」。

「そして『日本の大学を出てないのですか?』という質問が多かったのは驚きました。ずっと日本が好きで、日本の事を学んできたのに、全く受け入れてもらえない。正直、心が折れそうでした。」

彼女の声には、当時の悔しさがにじむ。「人物」の評価ではなく、「枠」で語られてしまう。採用側は、名前を聞いたことのある日本の大学、海外大学であるならハーバード大学などでなければ社内で説明ができなかったのだろうか。これが日本以外の外国であったら、ここまでの苦労はなかったのかもしれない。

「54社目で、物流会社に内定をいただいたときは、本当にうれしかったです。」

日本人でも合格が難しい通関士の資格も持っていたことも評価され、新卒枠での入社が決まった。

「入社した会社は、ザ・日本企業という感じでした。朝礼で社訓を唱えたり、オフィスでは制服、外の現場では作業服での仕事でした。同期が90人いて、今でも仲良くしています。」

「国際物流業務などに関わりましたが、5つのS(整理・整頓・清掃・清潔・躾)を徹底的に叩き込まれました。」

日本でそんな充実した日々を送りながらも、オルズグルさんはさらに日本社会へ深く入り込んでいくことになる。日本での起業である。

◼️「物件を貸せません」——永住権があっても超えられない不動産の壁

「物流会社で学んだ経験を生かして、母国と日本を直接つなげる仕事をしたいという想いが強まっていきました。」

「ウズベキスタン産のワインを日本に輸入しようと、自分の会社を立ち上げようと思いました」。ただし、次なる壁に直面することになる。不動産契約である。

「この頃には、永住権を取得していたのですが、オフィスを借りようと不動産屋に行っても全く取り合ってもらえないのです。こんなに難しいとは思いませんでした……」

輸入業を始めるためには、オフィスと倉庫の住所が必要である。しかし、不動産会社や所有オーナーからは「実績がない」「永住権はあるけど外国籍だから」と拒否され続ける。

「敷金などを多めに積むと言ってもダメで、何十件も断られます。物件を借りられなければ、輸入業の実績は作れません。でも実績がないと物件を貸してもらえないという。板挟み状態で、出口が見えない状況でした」

「結局、知り合いの方がオフィスを貸してくれることになり、何とか事業のスタートが切れました。」オルズグル氏は続ける。

「ただ、不動産の問題は、その後もずっと苦労し続けました。ワイン輸入事業を横展開して、ワインバー用の物件を探しているときも同じでした。」

◼️「偽装結婚ですか?」——日本で暮らす外国人女性に向けられる視線

「不動産契約は私では上手くいかないと、日本人の夫に契約してもらおうと思いました。ただ、その時も「旦那さん、失礼ですが、奥様とは偽装結婚ではないですよね?」と不動産屋さんに言われました。マイノリティの人にとって、こういうのって結構、心が傷つくんです。」

私たちは改めて日本社会が抱える課題を考えさせられる。永住権を渡して、異文化や異なるバックグラウンドを持つ人を受け入れはしているのだが、それはスタートに過ぎない。

◼️「日本国籍を取ったら、すべてが変わった」——永住権と国籍の決定的な違い

ただ、この後に驚きの出来事がある。

「この数ヶ月後に、日本国籍を取得できました。そして、再度、不動産の契約をしようと不動産屋に向かうと、今までのことが嘘のように物件が借りることができました。」

「嬉しかったのですが、複雑な気持ちでした。私自身は同じ人間で、たった数ヶ月で何も変わっていないのに、社会から全く違った返答が返ってきたからです。」

「永住権と日本国籍。日本において、外国人がこれらを取得するのは、両方ともかなり大変なんです。ただし、この二つの違いが非常に大きいことも、私自身が経験して、やっと理解しました。」とオルズグルさんは振り返る。

永住権を取得すれば、日本の滞在自体は問題ない(不法移民とはならない)。ただし、国籍が外国のままでは、就職や起業、そして商取引などでさまざまな制限があるのだ。

「この一連の出来事で、就職時や起業まで、今までのモヤモヤがはっきりしました。」

◼️「挑戦しにくい日本を変えたい」——政治家としての新たな決意

「日本は素晴らしい国です。私は日本が大好き。ただ「機会の平等」という大切な概念に、日本社会はとても疎いのです。これは、外国人である私だけでなく、日本人の多くの方も苦しんでいるのではないかと思いました。」

「私は、この先も大好きな日本で暮らしていきます。外国人から日本人に変わった私の経験が、多くの人たちの未来につながるようにしたいと思いました。」

現在、東京で政治家として活動するオルズグル氏は、多文化共生を推進する政策に力を入れている。

外国人と日本人が互いに理解し合い、ともに暮らしやすい社会を目指して、行政サービスの多言語化、多文化共生条例のさらなる浸透、外国にルーツを持つ子どもたちへの教育支援、そして外国人だけでなく日本人のマイノリティにも配慮した具体的な施策を推し進めている。

また、外国人女性として、ほかのマイノリティグループにも想いを寄せている。

「日本には300万人を越える外国人が、世界の多くの選択肢の中から日本を選び、日本の事が好きで、働き暮らしています。そして、マイノリティとして実際に暮らしてみないとわからないことって、たくさんあります。」

「たとえば災害時の情報が日本語だけだと、外国人はどう動いていいか分からず、命の危険につながることもあります。防災情報の多言語化などは急務と思っています。」

◼️「日本を開く」のは、私たち一人ひとりの意識から

オルズグル氏の経験からは、外国人労働者から永住権、そして日本国籍とステータスが変わった時に、「機会の平等」の現体験が学べる。それは、日本に住む外国人が直面する現実と壁なのだ。

日本は「外国人に優しい国」「住みやすい国」と言われるが、それは本当にすべての人に当てはまるのか。外国人労働者、留学生、起業家が「機会の平等」を得ることが難しい現実がある以上、日本が「開かれた国」と言い切るのは難しい。

これからの未来を築くには、より多様な人々と共に生きる社会のあり方を考える必要がある。

社会を一気に変えることはできない。だが、小さな改善が積み重なれば、未来は確実に変わる。オルズグル氏のように、「外から見る人」ではなく「中で変える人」になろうとする存在が増えることは、日本にとっても大きなチャンスだ。

人口減少が続く日本は、「開かれた国」の本質を見極め、私たち一人ひとりの意識の変化も求められる。世界の人々の視点を知り、新しい価値観を受け入れ、共に未来をつくる。それが、日本が真に「開かれた国」となるための第一歩となるだろう

撮影場所:JIDAI – The Japan Experience bar –

〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目9−15 ジュエルボックス銀座

https://jidai-tokyo.studio.site

JIDAIは、「旅人の集う上質な空間」。
ローカルとトラベラーのenjoyableな交流の場であり、 日本という国が培った文化、哲学、思想、歴史を体験するバーです。
店名には、重層的な日本文化、いま私たちが共有する時間、 そうして紡がれる新たな時代への思いを込めました。
歴史の中のいま、世界の中の日本を、ともに味わいましょう。

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